横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)101号 判決
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【判旨】
そこで、被告の所有権喪失の抗弁について判断する。
まず、抗弁1、2<編注・準消費貸借の成立等>について考えてみるに、<証拠>によれば、橋本昇と原告隆夫との間で昭和五二年九月頃一四五五万円を同年一二月三一日限り支払う旨の準消費貸借契約が締結されたことを認めることができる。
そうすると、原告隆夫が橋本昇に対し、右準消費貸借契約を締結した昭和五二年九月頃、一四五〇万円の債務を負つていたことが事実上推定されるといわねばならない。
ところで、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 橋本昇は、昭和四五年一一月二七日、株式会社幹設計事務所を設立し、建築設計、監理の業務を営んでいた。また、昭和四六年六月一七日には、更にミキ建装株式会社を設立し、一般住宅及び店舗の新築並びに内装工事の業務も行つていたが、ミキ建装株式会社の方は業績が振わず休眠状態になつていた。原告隆夫は昭和四八年頃までは横浜日野自動車に勤務していたが、小学校時代の友達で、家族ぐるみの交際をしていた右橋本昇に、同人の経営している会社で「台湾から木彫ドアーを輸入して販売することを計画している。別会社としてやりたいのだが、一緒にやらないか。」との誘いを受けた。そこで原告隆夫は橋本昇の経営する株式会社幹設計事務所に勤めることになり、株式会社幹設計事務所所長代理と称して橋本昇の営業を手伝うことになつた。当時、前記のようにミキ建装株式会社の方は休眠状態であつたので、この会社を利用して木彫ドアーの販売をすることにした。そうして昭和四九年六月二〇日に橋本昇のほかに原告隆夫も代表取締役に就任し、同年八月五日には商号を株式会社ハーモニーと改めるに至つた。ハーモニーが営業活動を始めたのは同年一〇月頃からであつた。原告隆夫は代表取締役になつたものの、出資したわけではなく、橋本昇が事業資金すべて支出負担し、原告隆夫は他の一人の従業員と共に橋本昇から給料をもらう立場であつた。すなわち、橋本昇は資金繰り、銀行関係の折衝一切を取りしきり、実質的にハーモニーを経営し、原告隆夫は橋本昇から月額一三万円の給料の支給を受け、主として販売の営業活動に従事していた。原告隆夫の給料はその後一五万円に増額された。
2 前記のとおりハーモニーは昭和四九年一〇月頃から営業活動を始めたが、木彫ドアーの売れ行きはわるく予期に反して業績があがらないので、台湾から木彫ドアーを輸入したのは僅か三回のみで、その輸入代金額も、一八六万円、一六〇万円、一七〇万円と合計しても五一六万円に過ぎなかつた。かような状況で昭和五〇年中のハーモニーの実績は月商一五〇万円程度であつた。しかして昭和五〇年一二月には運転資金に困るようになり、原告隆夫は橋本昇に請われて本件土地建物を担保に提供して八千代信用金庫(以下「八千代信金」という。)から五〇〇万円を限度に資金を借受けることを承諾せざるをえないようになつた。本件土地が原告隆夫と原告三与子の共有であるところから、橋本昇は、その頃原告三与子を訪ねて、本件土地の原告三与子の持分についても担保に提供することの承諾を求め、原告三与子の承諾も得た。そうして本件土地建物につき昭和五一年一月二三日、権利者を八千代信金とし、極度額を五〇〇万円とする根抵当権の設定登記がなされた。その後、右根抵当権の極度額は昭和五一年七月一三日に一〇〇〇万円、昭和五二年一月一二日には一二〇〇万円にそれぞれ増額された。橋本昇と原告隆夫はハーモニーのために個人保証したうえで、八千代信金から順次運転資金を借受け、ハーモニーの諸支払いや原告隆夫らを含む従業員の給料、賞与等の支払いに充てていた。ハーモニーの大口の債務としては海運業者に対する運賃、木彫ドアーを保管した倉庫料等が五〇〇万円ないし六〇〇万円くらいはあつた(但し、これが支払済みであるか否かは明らかでない。)ものの、八千代信金からの借入金と合わせても一五〇〇万円前後、多くても二〇〇〇万円を超えることはなかつた。しかして昭和五一年四月以降は原告隆夫に対する給料の支払いもなされなくなり、その頃から事実上営業活動は行われなくなつた。
3 橋本昇は、昭和五一年五月一日、原告隆夫に対し「昭和五一年四月末までに生じたハーモニーの負債は自分が負担する。しかし今後は自分としては、これ以上ハーモニーにつぎ込むことはできない。昭和五一年五月以降ハーモニーの営業に関して生ずる損益は橋本昇と原告隆夫とで平等に分担しようではないか。」と言い出した。原告隆夫も止むなくこれに応ずることとし、「兎に角、今後一年間を区切つて木彫ドアーの販売営業の努力をしてみて、それでも業績があがらない場合は、ハーモニーを解散しよう。昭和五一年五月以降昭和五二年四月末までの間に生ずる損益は同等に分担し合うことにしよう。」ということで約定書(乙第一号証)を作成することになつた。なお、今後、給料も支払えないので、原告隆夫において橋本昇個人から金員を借りる必要もあろうが、その貸金もハーモニー解散の際、ハーモニーの営業の損益を精算するに当つて一緒に計算することにしようという合意もなされた。
4 原告隆夫は本件土地建物を担保に提供し、かつ自らも橋本昇と共にハーモニーのため連帯保証人となつて八千代信金から借金し、ハーモニーの営業収益の中から毎月割賦弁済していたが、前記のように経営が振わず、月々の返済が遅滞しはじめていたところ、昭和五二年七月頃八千代信金から橋本昇と原告隆夫に「貸金を返済せよ。支払えないなら本件土地建物を競売せざるをえない。」との催告を受けるに至つた。当時ハーモニーは八千代信金から七三二万一六三八円を証書貸付、手形貸付で借受けており、そのほか、幹設計事務所名義で五〇万円、橋本昇名義で二七〇万円を証書貸付、手形貸付で借受けていて、その債務の合計は一〇五二万一六三八円であつた(このうち、四七六万円は昭和五一年五月一日より前に借受けたものであり、昭和五一年五月一日以降にハーモニーが借受けたのは三五八万円のみであつた)。ところが、橋本昇は「自分は八千代信金に拘束預金として五一九万六〇〇〇円の預金債権を有していたが、それが返済に充当されてしまつた。自分が半分は支払つたのだから後は知らない。後は原告隆夫において支払え。」と前記約定書を楯にとつて言い出した。原告隆夫は「昭和五一年五月一日より前の借入金については責任はない。また幹設計事務所や橋本昇の借受金については責任はないはずだ。話が違うのではないか。」と橋本昇に抗議したが同人はこれを受付けなかつた。
5 八千代信金は早急に支払わなければ、本件土地建物を競売するというので、原告隆夫は八千代信金に幾度も弁済の猶予方を歎願したものの、返済のあてもなく困惑しきつていた。かような情況の昭和五二年一〇月頃橋本昇が九州にいる兄の被告が退職金を手にしているので、しつかりした保証人を立てるなら五〇〇万円ぐらいは被告が貸してくれるとの話をもちかけてきた。そして橋本昇は保証人には原告隆夫の妻の父佐藤貞三郎が適当であろうと示唆した。原告隆夫は金策のめども立たないので、橋本昇のこの申出に乗ることとし、昭和五二年一一月初頃佐藤貞三郎の妻たまに頼み込んで、白紙の借用証用紙に佐藤貞三郎の記名押印をもらい、自らもこれに署名押印し、橋本昇に求められるまま、自己及び佐藤貞三郎の印鑑証明書各三通の交付を受け、白紙委任状各三通を作成して、これらを橋本昇に交付し、被告から五〇〇万円を借受けることを頼んだ。橋本昇は九州に赴き銀行から五〇〇万円を振込んだと伝えてきた。ところが、四、五日後、原告隆夫は八千代信金から「三〇〇万円しか入つていない。後はどうするのか。」との通知を受けた。原告隆夫は驚いて橋本昇に詰問したところ、同人は「実は三〇〇万円しか借りられなかつた。」と釈明した。しかるに、橋本昇は右白紙の借用証用紙を利用して昭和五二年一〇月二九日付の五五〇万円(内五〇万円は借入のための諸費用ということであつた。)の橋本昇に対する借用証を作つてしまつていた。それのみか、橋本昇は佐藤貞三郎の印鑑証明書と白紙委任状を利用して佐藤貞三郎所有の建物につき五五〇万円の抵当権設定の仮登記を経由し、更に佐藤貞三郎を債務者とする五五〇万円の債務弁済契約公正証書まで作成していた。
6 他方、橋本昇は昭和五二年九月頃幹設計事務所の運営資金に窮し約八〇〇〇万円の手形を乱発して高利金融業者から割引を得ていたが、手形債権者らから押しかけられて困却していた。その頃橋本昇は原告隆夫に対し「本件土地建物は幹設計事務所のために担保に入つている(事実、本件土地建物には横浜地方法務局藤沢出張所昭和五二年三月二四日受付第七七二二号をもつて債務者を幹設計事務所、権利者を八千代信金とし、極度額を一二〇〇万円とする根抵当権設定登記がなされていた。)。自分は家も売つてしまつて都営住宅に入つているから問題ないが、暴力団まがいの債権者は原告らの家まできつと押しかけてくる。原告らの家は守つてあげなくてはならぬ。」「本件土地建物を保全するためには、九州の兄(被告)の名義の仮登記をつけておくのが一番安全だ。高利貸も九州までは押しかけて行かないだろう。原告らの家を守るのが私の使命だ。」等と言つた。更に「何故名義を変えたんだと追及されるとまずいから、借用証を作つておこう。本件土地建物は大体一四〇〇万円くらいだろうから、一四五五万円を借りていることにしよう。日付は幹設計事務所が不渡を出す日より前の昭和五二年七月一日にしておこう。原告隆夫が九州の被告から直接借りたとすると、おかしいとあやしまれるから橋本昇が被告から同額の金員を借受け、その金員を橋本昇から原告隆夫が借りたことにしよう。」「複雑にしておけば債権者も九州までは追いかけまい。」等と申向け、原告隆夫も同人の言を漫然と信用し、橋本昇に指示されるまま、借主を原告隆夫、連帯保証人を原告三与子とする金銭借用証書(乙第二号証)を作成し、自己の名下に押印した。しかし形式だけのものだからということで橋本昇は原告三与子の押印までは求めなかつた。
7 前掲佐藤貞三郎は橋本昇を相手方として東京地方裁判所に、不知の間にその所有建物に抵当権設定仮登記をされ、債務弁済契約公正証書を作成されたとして抵当権設定仮登記抹消登記請求及び請求異議の訴等を提起したが、昭和五五年一二月二四日、橋本昇が抵当権設定仮登記の抹消登記手続をなすのと引換に佐藤貞三郎連帯保証のもとに佐藤たまが三〇〇万円を昭和五六年一月三一日限り支払う旨の裁判上の和解が成立し、橋本昇は佐藤貞三郎から三〇〇万円の支払いを受けている。なお、原告隆夫は八千代信金に対する二三二万五六三八円の債務(前記昭和五二年七月の時点で八千代信金に対し負つていた借受金債務一〇五二万一六三八円から橋本昇の拘束預金五一九万六〇〇〇円と右橋本昇からの借受金三〇〇万円を控除した金員の返還債務)については、八千代信金から分割返済の承諾を得て、順次割賦返済し、昭和五六年四月二四日の時点で三〇万〇五六六円の債務を残すのみとなつていた。
8 原告隆夫の妻村雨良江は昭和四七年四月から現在まで藤沢市八松小学校に学校給食調理員として勤務し、昭和五一、二年当時月収一〇万円くらいを得ていた。原告隆夫も前示のように昭和四八年なかば頃から昭和五一年三月末までは、ハーモニーから月額一三万円ないし一五万円の給料の支払いを受けていた。原告隆夫の家族は夫婦と子供三人及び原告隆夫の母原告三与子の六人家族であつて、右の収入によつて裕福ではないまでも、その日その日の生活に困るようなことはなかつた。本件建物は東京都杉並区方南町にあつた原告ら所有の土地建物を売却した代金で建築したもので、建築費のローン支払い等もなかつた。原告隆夫はギャンブルにこるようなこともなく、またバーなキャバレーで遊ぶこともなかつた。前示のように昭和五一年四月から原告隆夫に対するハーモニーからの給料の支払いがなくなつたとしても、昭和五二年六月末までの間に、四〇〇万円もの大金を橋本昇から借受けなければ生活ができないような事情はなかつた。
以上のような諸事実が認められ<る。>
右の諸事実を総合すると、原告隆夫が、橋本昇から、数回に分けて計四〇〇万円を借り受けねばならなかつたような事情はなく、また、一〇数回にわたりハーモニーに対する負担金支払の目的で計一〇五五万円を借り受けるような情況でもなかつたことが認められ、これらの事実に照らして考えると、前記橋本昇らと原告隆夫との間で昭和五二年九月頃一四五五万円を同年一二月末日限り支払う旨の準消費貸借契約が締結された事実から、原告主張の旧債務存在の事実を推認することは難しいといわねばならない。
(小川正澄 志田洋 竹内民生)